マイルスは当然に数多くのミュージシャンと共演していて、時代ごとにやりたい音楽のスタイルを追求するために、メンバーを厳選・交代を繰り返してきた。マイルスは、男気にあふれた人で、競演したメンバーをあまり悪くは言わない。共演したメンバーは、「元:マイルスバンド」の冠がついて、有名・実力派ミュージシャンとなる。
そんな「元:マイルスバンド」ミュージシャンを挙げればキリがないので列挙しないが、マイルス本人はかつての仲間が活躍することを喜んでいたようだ。自伝の中にも共演者やバンドメンバーへの賛辞が数多く残されている。このあたりは、ヘビメタバンドに見習ってもらいたいもんだね?ヘヴィメタバンドって、脱退したり分裂したりすると、ボロクソにいうでしょ。

<ギターブログの端くれなので、元:マイルスバンドについてギタリストだけ書いおく。ジョージベンソン、ジョンマクラフリン、ピートコージー、マイクスターン、ジョンスコフィールド、ロベンフォードなど>

今回のテーマは、

ソニースティット



以前に購入した「マイルスデイヴィスThe Complete Holland1960 Concerts(この記事)」に参加しているソニースティットが好きになったので、自伝の中でコメントを調べてみると、この人が出て来る箇所は、ごく限られている。しかも、あまりいいようには書いていない。ジョンコルトレーンとウェインショーターについては、絶賛しているけど。実際、コルトレーン、ショーターに比較すると、ソニーは個性が立ってないし、ソロの展開も常識的でスリルには欠ける感はある。
マイルスバンドには、ジョン・コルトレーン脱退からウェイン・ショーター加入までの間に数人のサックスプレーヤーが助っ人参加しているが、そのうちの一人がソニーで、スタジオ作品はなく、ライブツアーの助っ人のみである。

stitt 1

マイルスによれば、若きころのソニーについて、若き頃のマイルスの認識は「チャーリーパーカー(自伝の中では「バード」)のまね事をしている大勢のサックスプレーヤーの一人だが、実際のプレーは、チャーリーよりもレスターヤングに似ている。」としていて、特に好意や評価をする言葉は並んでいない。むしろ、ソニーの酒癖や立ち回りに関してマイルスがイラついたことなどが語られている。

sonny 2

マイルスの60年のヨーロッパツアーにおいて、すでにソロ活動していたコルトレーンは、すべてに同行することが無理となった。一部、助っ人としてプレーしたのが、ソニー。参加の経緯は書いていない。その時の音源が「The Complete Holland1960 Concerts」のDisc2。「Stardust」「Old Folks」の2曲については、ソニーの独壇場となっている。なぜ独壇場をマイルスが許したのか?マイルスがソニーに気を使ったのか?その逆でコンビネーションを前面に出した演奏をしたくないのか?は不明。
当時のマイルスのライブの恒例曲におけるソニーのソロは、コルトレーンに比べると、短い。
(もっとも、マイルスは、コルトレーンにソロが長すぎると指摘していたらしいけど。)

マイルスは、ソニーはこのツアーの途中で、酒癖を理由に解雇する。遅刻が多かったらしい。
ジョージコールマンを正式採用し、有名な「Four &More」「My Funny Valentine」等のライブの名盤を生む。
でも、ジョージコールマンってマイルスファンから人気ないみたい。面白味にかけるんでしょうね。
ハービーハンコックのソロ名義デビュー盤買ったら、Jコールマンだった。結構よかったけど、マイルスバンドほどの緊迫感がないのが、すこし残念。
張りつめた空気にクールに鳴り響くハンコックを期待してましたが。

Maiden Voyage
Herbie Hancock

コールマンは、ソニーよりも、さらにオーソドックスなのかもしれない。
その後も、サックスプレーヤー探しが続き、マイルス初来日時のサムリーヴァースを経て、ショーター加入をもって、マイルスのイライラはおさまった。



マイルスからの評価は低いようですが、ワシは気に入ってしまったので、買ってみた。
8 CLASSIC ALBUMS 2
SONNY STITT
お得です。昼飯レベル。
演奏も気に入りました。
リズムギターが入っている時期もあって、それもよし。
ソニーのプレーは、よく歌い、それでいて納まりがいい、つまり、コンパクト。ワシのようなジャズ初心者にもわかりやすい。
サックスの出音がきれいな事と、適度にフレーズが上下に流麗に踊る(サックスらしく)ところが好き。「フレーズが上下に踊る」については、この人はスムーズかつ美しい踊りなのだが、コルトレーンは、過激。ショーターは美しい時もあるものの、ライブ置いては、激しすぎて、壊れた?って感じることもある。それに比べるとソニーは王道で、わかりやすいプレーと思う。
同じく王道でもあるマイルスは、自分との対比で、コルトレーンやショーターを珍重したのではないでしょうか?

ソニー3
(晩年は谷村新司さんみたいです。)

晩年はジャズ普及のために、日本公演にも尽力されたようです。
<以下Wikipediaより>
晩年は首に悪性黒色腫を患っていた。 日本で大物ジャズメンのコンサートといえば大都市でしか開催されないのが通例だが、地方の小さな町の人々にも本物のジャズを広める目的で、1982年7月12日からの北海道をスタート地点としたソニー・スティット・カルテットの日本全国縦断ツアーが予定されていた。 この最後の楽旅は非常に危険な事実を承知の上、スティット自身の強い意志で敢行された。 看護婦の付き添いで車椅子に乗った来日の姿は、関係者とファンの間で非常に危ぶまれたが、旭川で一曲のみ吹奏したのを最後についに演奏不能となり、それでも札幌では包帯を巻いたまま舞台挨拶を行い、八雲では病床で録音した挨拶メッセージをホールで流すも、19日に急遽帰国した。 演奏不能となったツアーの後半はステージ中央に置かれた椅子に彼の愛器を飾った状態で、伴奏だったジェームス・ウィリアムス(ピアノ)、ナット・リーヴス(ベース)、ヴィニー・ジョンソン(ドラムス)のトリオのみでコンサートが行なわれた。 帰国の三日後、7月22日にワシントンDCで死亡した際の新聞各紙訃報では、皮膚がんが死因と報道された。<WIKI引用終わり>
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 マイルスデイヴィスThe Complete Holland1960 Concertsについては、この記事をご覧ください。