エリック・クラプトンの自伝を読んだ。
ミュージシャンの自伝、伝記モノは、ちょこちょと読んできたが、これは面白かったので、私的な感想を交えて、ご紹介したい。本格的ななネタバレはしないので、興味ある方は、読まれたら好いと思います。(編集して、再掲載しました。)

自伝の全体感



いきなり、脱線しますが、これまで読んだものでは、マイルス・デイヴィス自伝は面白かった。その他、自伝ではないが、ジム・モリソン(伝記)、キースリチャーズ(伝記)、ボブディラン(伝記)、ジミーペイジ(インタビュー集)、ポールマッカトニー(告白本)など、それぞれ楽しめたが、伝記の類は、英雄的な物語の体裁であることがほとんどだ。その中で、マイルス自伝は、マイルスのカッコよさ、孤高の生き様や考え方が嫌味はないけど、さりげなく自慢げに語られていて、それを読み進めると、マイルスデイヴィスのキャラクターが読み手にリアルに浮かび上がってくる点が、秀逸だった。

このクラプトン自伝は、マイルスのように自慢げな語りはない。むしろ、老人と言われても違和感のない年齢になったクラプトンが、決して英雄的でもなく、自慢することもなく、「人としてのダメさ加減」を自虐的に懺悔のように告白されていて、その積み上げを読み進めると「ダメな奴」「困ったヤツ」「だらしない」などのキャラクターが浮かび上がってくる。それが意外であったため、予想よりも興味をもって読み進めることが出来た。もちろん、笑いを狙った自伝ではなく、少年期から、ヤードバーズ~ブルースブレーカーズ、クリームの栄光、解散、ジャンキー期、アル中期、復活、安定期まで大真面目に語られているので、それが、またおもろい。

暴露系の話題もあり、興味を惹かれる下世話ネタも出てくるし、クラプトンの周辺でおきる数々の悲劇に「ハッ」となる局面もある。でも、なんといっても、「いいかげんな色男」「自己チューの塊」である「素のクラプトン」が、笑える逸品である。

クラプトンと言えば、端正なマスク、ブルースにささげた人生、パティへの思いでつぶれそうになり、ジミヘン・オールマンの死などで、自暴自棄・ジャンキーになりながらも、復活する不屈のギターヒーロー、優しさにあふれた笑顔と直球ど真ん中勝負の正統派ギタープレーこんなイメージの「元祖ギターヒーロー」であるが、そんなクラプトンが、自ら「もう、何やってんだ?あーあ、ダメだよ、このオッサン」な過去を振り返る、そんな面が印象に残った自伝です。(ただし、ご本人は大まじめに人生を振り返って書いた自伝であるので、まじめに感動する読者もたくさんいるかもしれません。)

クラプトンヌード



エリック・クラプトン自伝
エリック クラプトン
イースト・プレス
2008-04-01

 
パティも自伝出してるんですな。
パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥディ
パティ ボイド
シンコーミュージック
2008-08-30


こんな本、良く出したなぁーって思ったけど、
おそらく、薬中、アル中、女中(おんな中毒の略)、友人の死、子供の死などの悲劇や自虐苦労を乗り越えて、人生を俯瞰的に振り返る余裕ができたみたいです。

印象的な出来事・シーンの抜粋



ギター選びについて


最初の有名ギターは、ギブソンES335だった。ストラトキャスター使用は、バディガイとスティーブ・ウィンウッドの影響。特に直接的には、ウインウッドが使用していた白いストラトを見て、買うことを決意した。


同世代ギタリストについての評価


ヤードバース時代ごろ、同世代のギタリストでクラプトンが好きなイギリス人ギタリストは、有名どころでは、アルバート・リーとジェフベック、ジミーペイジらを挙げている。(他にマイナーな人も例示していましたが省略。)クラプトンは、ベックとペイジについて、共にロカビリーベースのギタリストであり、ブルースベースの自分とは異なるタイプと認識し、ライバル心は全くなかったらしい。

売れたい気持ち


エリックは嫉妬深く、簡単に人を信用しない一面があるようだ。自信の後釜ベックが入ったヤードバーズの好調だったことを悔しがった。クリーム期は、切望していたモンタレーポップフェスに出演できず、出演したWhoの人気が盛り上がってきた事などを忌々しく見ていた。それでもビートルズに関しては、一目置かざるを得ない才能を感じたという。

ビートルズとの関わり


ビートルズについては、その素晴らしさに一目置いてきたが、ばっちりキマッタスーツ姿が癪だったらしい。ジョージとは、すぐ友人となり、ギター仲間として親交がはじまった。付き合いの過程で、のちに「イエスタディ」となる作曲途中の「スクランブルエッグ」をポールが歌うのを聴いていた、などポールの天才ぶりには、早くから敬意を抱いていた。一方でジョンは、皮肉屋でジョークがキツイため、距離を置くようにしていた。(が、のちにロックロールサーカスやトロントライブで共演する。)

ジョージハリスンとの交流と因縁


「ホワイルマイギタージェントリーウィープス」に参加したエリックは、「ホワイトアルバム」の発表前に、アセテート(レコード)盤をジョージからもらった。これをミュージシャン仲間に、発表前にもかかわらず聴かせて回った。ビートルズのアルバム参加したことを自慢したいことと、内容のすばらしさを伝えたかったのだ。この事を他で聞きつけたジョージは、当然に激怒した。また、クラプトンはドミノスの活動中から、シャブ中となって、その量がどんどん増える過程で、ジョージから「シャブをいい加減にするように」と叱責されている。だが、クラプトンは、やめない。そればかりか、心暖かい叱責をよそに、ジョージの目を盗んで、パティに「オレと一緒にならないと、おれはどんどんヘロインやるぜ。」と脅す。本当にサイテー男なのだ。

ディランとの交流


ディランとの交流も、60年代中期のディラン全英ツアー時からはじまったが、これまた皮肉屋で変わり者なので、付き合いにくかったらしい。のちに何度かレコーディングに参加する(「欲望」など)するも、冷遇されて困惑することが多かったらしい。(ディランは自身名義の作品のレコーディングでは王様になり、ビッグネームミュージシャンであっても全く優遇せず、ぽっと出の若手ミュージシャンと同等に扱い、さらに、ビッグネームのプレーでも平気で没にする。ディランの伝記「瞬間の轍」に記載有る。Mブルームフィールドも同様のコメントあり。)



自らのヴォーカルについて


ブルースブレーカーズでは、いやいや歌った。その後、バディガイ、ジミヘンを見て歌ってみたいと漠然と思っていた。積極的に取り組むキッカケは、デラニー&ボニーにリードヴォーカルを強く勧めらせたことと、さらにスティーブウインウッドに叱責されたことによる。ブライドフェイスの「プレゼンス・オブザ・ロード」(エリックの書いた数少ない名曲)のレコーディング時、エリックがウィンウッドのヴォーカルに注文を使たところ、ウィンウッドが怒り、「そんなこと言うなら、自分で歌え!」と言ったらしい。(ウィンウッドは本気で怒った。)


ジミヘンの死の前後


ジミが亡くなる直前、クラプトンはジミのために、「左利き用」のストラトを購入し、プレゼントしようと準備していた(!!)だが、会えなかった。左利きストラトをプレゼントできぬまま、ジミは行ってしまった。プレゼント出来ていたら、リヴァース(右利き用のストラトをひっくり返して使う)でないジミのストラトプレーが拝めた?かもしれない。

ジャンキーとの決別


祖父の死、友人の死(ジミ、オールマン)、上手くいかない音楽活動等などの遠因もあって、完全なジャンキーに。酔っ払いが、「酔ってねぇーよ!」と言うのと同じように、クラプトンは「自分は中毒ではない、中毒にはならない」と豪語し、いろんな人の忠告を聞き入れなかった。このどうしようもないジャンキーに治療することを説得したのは、クラプトンが当時付き合っていた女性(共にジャンキーとなった)の父。筋金入りのジャンキーとなっていたクラプトンも、この説得を聞き入れた。

アルコール中毒のスターとしての生活


シャブ中治療をこなし、「461オーシャンブールヴァード」で復活。が、しかし、あっと言う間に、アル中になる。また、パティに言い寄りながら、イヴォンヌエリマン(ライブアルバム「EC・ワズ・ヒア」などの女性ヴォーカルとネンゴロになるなど、人として、全く更生していない日々をおくる。復活のための「レインボーコンサート」実現に尽力したピートタウンゼントは、復活後のクラプトンが、アル中でステージを途中で降りようとする状態を見て、「それでもショービジネスで生きている人間か!」と厳しく叱責した。(流石、ピート。ところが、ピートの自伝によると、ピート自身もその後アル中になっている。ピートの自伝も面白い、が、ちょっと難しい内容もあって超大作であるため、読み切るには根気が必要です。)クラプトンは、ちょっと反省したが、アル中は治らなかった。

クラプトンジーンズ

こんな事件もあった。クラプトンが目を付け、目下求愛中の女性について、ミックジャガーも目を付ける事態となった。クラプトンは、ミックに「頼むから、見逃してくれ、手を出さないでくれ」と哀願する。しかし、ミックは、計画通り、手を出す。(クラプトンから哀願されて、なお一層燃えた?)この事態に、クラプトンは落ち込み、アルコールに溺れる。こんな事を繰り返しながらも、パティとゴールインする。が、しかし、女癖とアル中は治らず。酒と女で失敗するたびに、パティにつらく当たる。あなた最低です。


と、まぁこんな事の繰り返し。他人のパートナーには手を出すクセに、自分のパートナーを縛る。また、手を出しそうな他の男性を威嚇する・・・・ただの、オスである。

アルバム「マネー&シガレッツ」は、第1回目の本格的なアルコール中毒治療後の作品。当時クラプトンが、「自分にあるのは、お金とタバコだけ」(酒がない)と投げやりにタイトルにした。その後も、アル中治療に取り組むが、再発を繰り返す。


スティーヴィー・レイ・ヴォーンの死について


1990年、8月26日。米国南部のクラプトンはツアー中に、「ブルースフェスティヴァル」的な企画コンサートに。<br />このフェスのオープニングは、アル中から復活したレイヴォーン&ダブルトラブル。レイヴォーンのプレーについて、クラプトンは羨望の目で見ていて、このフェスのトリで出演することは、ストレスだったと言っている。ストレスを感じながらも、フェスの最後は、バディガイ、レイヴォーン兄弟、ロバートクレイ、クラプトンによる15分に及ぶ「スィートホームシカゴ」で、互いにプレーを楽しんだという。ステージ後、レイヴォーンは慌ただしく、ヘリコプターで移動することとなる。これをクラプトンは見送る。霧が深く、ぶ厚い黒い雲を見ながら、不吉なモノを感じたけど、言葉にすることは無礼と思った。翌朝、レイヴォーンの死の知らせが入る。「スィートホームシカゴ」を兄を含む豪華メンバーで・・・これがレイヴォーン最期の演奏だった。

息子の死、アルコールとの決別


息子コナーとサーカスを見に行ったことを歌う「サーカスレフトタウン」。このサーカスに行ったとき、クラプトンとコナーの母とは、破局していて、クラプトンは、パートタイムファーザーとして、時々、息子と面会する状態。父と息子が二人っきりでサーカスを楽しんだ。その次の日、コナーは転落事故に遭う。「また行こう」と約束したのに。この悲劇を経て、クラプトンのアル中は遂に!治す、治ったのだ。さらにタバコも止める。そして、数々の愛器をオークションにだす。アル中支援に寄付する。今は、マイホームパパ兼ロックスター。



おわりに


読んでみて、思いあたったこと、アル中が完治する前後から、音楽性やギタープレーがブログ管理人の好みから乖離していったこともわかりました。おしまい。