大ヒット映画がDVD発売され、私の周辺でも大評判ヒット作を遅ればせながら視聴。私的な感想を記載。



ボヘミアン・ラプソディ 2枚組ブルーレイ&DVD [Blu-ray]
ラミ・マレック
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2019-04-17


私にとっては、70点

2時間15分、そこそこ長い本編、女房、息子と一緒に退屈することなく見終えることができた。クィーンをちょっと好きな女房(52歳)、クィーンもロックもほとんど知らない息子(12歳)、ロック狂(?)の拙者、それぞれが楽しめたので、この映画がヒットしたことに違和感はありません。
しかし、あんなに大ヒットしたことは、ちょっと不思議。

クィーンの大ファンにとって(ロックバンドの伝記映画として)

クイーン・バンド

ロックバンドの下積みから栄光までの描写がそれほどなく、バンドの最初の頂点「オペラ座の夜」までの道程についても、それほど触れられず。楽曲・作品創出に関するエピソードもほとんどなく、物足りないのではないか?
4人それぞれの作曲力や演奏力の高さ、ジョンディーコンを除く3人のコーラスワークなどのバンドのウリもクローズアップされることはなかった。
また、映画の中で、流れるクィーンの楽曲の数、その効果も、それほど感じられない。
(「その効果」とは、映画に使用された楽曲の個性が映画作品に与えた効果、例えば「地獄の黙示録」に出てきたドアーズの「ジ・エンド」、「7月4日に生まれて」に使用されたボブディラン「はげしい雨が降る」、ロックバンドの映画なら「ドアーズ」におけるドアーズの各楽曲、ツェッペリン「永遠の歌」のコンサート前に挿入された「ブロン・イ・アー」・・・・どれも映画の質を向上させる効果があった。ロックバンドの映画なのに、そのバンド楽曲が効果的に使われていない。一方で、デビュー盤の2曲目の「ドゥーイング・オールライト」は、アマチュアバンドの荒い演奏、未熟な楽曲の例のような扱いで使用されている事態だ。
映画「ボヘミアンラプソディー」におけるキラーチューンは、当然「ボヘミアンラプソディー」なんだろうけど、クィーンの他の楽曲も含めて使いようがあったように感じる。クィーンの楽曲のすばらしさを映画の中で伝えようとする意図はほとんど感じられない。
(終盤のライブエイドコンサートの演奏曲の歌詞に、「なるほど、こんな詩なんだ」とは思えた。)


人間模様を描いた映画として


脚本のすばらしさを感じる感動の展開・・・でもない。
感動できる名作との評判だったので、ストーリー展開にも当然、期待していた。登場人物のキャラクターが視聴者に理解.感情移入され、そのキャラクターの発想・行動とその結末を固唾をのんで見守る・・・・ような展開でもなかった。
映画なのでドラマ性にも当然に期待するが、一様ノンフィクション(一部、事実とは異なるようだが)なので、驚愕のストーリーでもない。(拙者が顛末の概要を既知であることも関係しているかも。)


なんで、こんなに大ヒットしたのか?

私的には、何故に、こんなに大ヒットしたか?ちょっと疑問だった。
ロックバンド「クィーン」の映画を期待した人、稀有の天才の儚き短命に思いっきり泣きたい・・・そんなイメージで見ると100点を付けないと思う。
クィーンの大ヒット曲しか知らない人は、もっとクィーンを知りたいと思ったかもしれない。
クィーンの熱狂的ファンには、映画が出来たこと自体が素晴らしいかもしれない。
拙者はどちらにも該当しない、元・ファンである。
クイーンは4人の個性が際立っているので、バンドとして面白いと思う。
(アルバムでは、セカンドとサードが面白いと思う。)
しかしながら、それもこの映画には関係ないと思う。


なぜ、大ヒットしたのか?


私見であるが、フレディーマーキュリーが両性愛者であったことや出自(タンザニア)を隠したいなどの不安を抱えた人生についての共感が多くの人を呼び寄せたのではないか?
性的マイノリティー、LGBT、性差別に対する人権保障に関する意見が日常的に聞かれる昨今、その渦中に天才が巻きこまれ翻弄された事に感化される人が多いってことだと思う。性的マイノリティー、LGBTに該当しなくとも、性的な差別、その他の社会システムに対する不満や不安に共感できる人が多いのだろう。

そこに「共感できること」が映画のテーマであるのに、拙者はロックバンドの熱狂やその才能礼賛、舞台裏、秘話を期待していたわけだ。
そのへんの感性が劣化したのか、そもそも無縁なのか、自分が「しあわせなオッサン」だってこと、 それが、わかった。

何が言いたいのか?今一つまとまらず、終わる。